灰燼に記す

アイマスPの雑記。不定期更新

【連載】第24回 ブルースクリーン

 

何となくかっこいい気がして毎回目次を入れてるけど、なんの意味があるんだろう。

 

 

 

 

ブルースクリーン(題名と同じ章タイトルってかっこいい)

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Switchがブッ壊れた!

ポケモン剣盾のちょっと前に買ってから今まで、ストレスに敗北した俺が殴ったり投げたり折ろうとしようとしたり、蛮行に蛮行を重ねて来たのによく頑張った。ウイポだけで6000時間くらい、ソードで1000時間超、その他もろもろで相当遊びました。

マスターデュエルのデータだけはサルベージしたいけど、他はかなりどうでもよくて、修理の機運があんまりない。ウイポは新作出るし、ポケモンはもうやってないし、他の数多のインディーズゲームももうクリアしたのばっか。ペルソナもやり直しはしないかなぁ。

後継機?新型機?のウワサもあるし、あと今年の4月から地獄の忙しさになることうけあいだし、これを機にゲームやめようかな......とか言ってたけど暇過ぎてつらい!!!!!!!!!!あーーーーーーー!!!でも修理もめんどい!!!買うか!?新品!!!

 

 

東京競馬場に行ったぞ!(開催してない)

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写真もっと撮れば良かった。

競馬博物館を目当てに、片道1300円かけて競馬やってない競馬場へ。想像以上に広く、デカく、ハンパなかった。WINSなんて意味不明の施設を、あの規模でバンバカ建ててるんだから、本丸がショボいわけないのだ。

競馬博物館はマジで最高。「世界のリーディングサイアー」とかいう†神†の展示があったせいで、一緒に行ったオタクは延々解説を聞くハメになっていました。

顕彰馬の紹介ビデオ?とか、2階はほとんど回れないまま時間が来てしまった。また来たいな〜

そういえば、最初に馬券を買ったのが去年のシンザン記念で、もう1年経った。帰省してオタクと遊ぶ時以外は一度も賭けてないし、なんならWINS行っても賭けないときすらあって、多分5000円くらいしか使ってない。馬券買わずに血統に狂い続けてるの、どういうこと???

 

 

Shine!!

俺は思考ってキモいなと思う。自我と言っても良い。たとえばこう文章を打っている時、いちいちどこに何のキーがあるか、確認しなくてもある程度の正確性は得られる。それはキーの配置を覚えているから、あるいはチラ見するだけで思い出せるからだろう。しかし、限られたチラ見だけでキーボードの空白を埋めてくださいと言われれば、出来る気がしない。
こういう自我に自覚し得ない技能を携えている事もキモいが、本題は「キーボードで文字を打てるのはどうしてだろう」と考えた時だ。
「どうしてだろう」という疑問は間違いなく何らかの神経の発火が複雑に組み合わさった結果である。では何がその発火を促すのだろうか。「疑問を持とう」という意思だろうか。じゃあその意思は、どういう神経の発火パターンなのか、それを促すものは何か......そう考えると際限なく深淵に潜っていける気がする。「自由意志」などなく、脳がしたいようにする様に、複雑な化学反応、ある種のカスケード、あるいは外界からの刺激、そういった全てに
"機械的"処理を続けるなかで、どういう訳か一体感を覚える「自我」なる仮象が生まれているような気がして恐ろしくなる。自らが取るに足らない幻影であると確信しそうになる。

鏡が整然と光を反射するように、ガラスに向こうの景色が透けるように、あるいは大気が空を青く染めるように、高度に複雑化したプロセスに「自我」が映る。仮象、これはリヒター(の評論家だったかも)が用いていた言葉で、さっきもすっと使ったが、
「実在的対象を反映しているように見えながら、対応すべき客観的実在性のない単なる主観的な形象」
という意味らしい。リヒターの祖国であるドイツの言葉ではSchein、カタカナにするならシャイン、光を意味する単語でもある。

こういうアナロジーにどれくらいの意味があるのかといえば、多分、一切ない。第一、意識とは、自我とは、何て命題は太古の昔から議論され尽くされているはずで、"結論"とは言わないまでも、俺が考えつくようなことは誰かが考えているはず。現状の答えが知りたいところではあるな......

 

 

 

立項未満のコーナー

日々のまとまりきらない感想とか、まとまったとて量の無いものとか

ランダマイザ

3ターンの間 敵1体の攻撃・防御力と命中・回避率を低下させる。

「お題」が欲しい。競走馬(の血統)知識をより高めていく為に。あるいは、アイドルマスターのことを思い出す為に。無作為に選ばれたアイドルないし競走馬のことを調べて、文章にまとめて、俺は先に進みたい。

軽〜く調べてみたけど、俺の検索能力じゃ適切な方法に辿り着けなかった。プログラマーへの道は遠いぜ

そういえば年明けからスクラップブックのコーナーをやっていない。ああいう感じで、簡単にでも良いから、何らかの形で馬とアイマスに触れ続けたい

 

ガラスが好き過ぎるだろ

『ハナムケのハナタバ』を聴いていて思った。ガラスって、みんな好きだ。人工感バリバリな、透明でひんやりした板。硬いけど脆くて、すごい音を出して割れる。ガラスの靴、水晶宮、あるいは脚、あるいは心臓。デュシャンもリヒターも、ガラスでなんかでっかい作品作ってた。

全く新しい色の発明は稀にある。ベンタブラックと、それに対抗するピンクとキラキラ。古くはラピスラズリによるフェルメールブルー、後々のIKB。ガラスがそういう有象無象に埋もれていかないのは工業的価値から来るものに思える。しかし、利便性があった上でも、美しさゆえに大量生産されるようになったような気もする。工業的価値も、そこ由来かもしれない。

ガラスの何が良いんだろうか

 

 

誰が話を聞いてくれるんだよ

積んでる歌集をたまに開く。57577をかなり外れていて、狭量な俺は腹が立つ。現代短歌(?)の文脈というか、共通認識というか、そういうものの中にあって音の数なんてのは些細な問題なのかもしれない。でも、そこに込められた理屈はいったい誰に届くんだろう。短歌・マジに届けば十分なんだろうけど。

いつだったか書いた「よき鑑賞者とは?」みたいな話の続きだけど、現代アートに関してもそう思う。アート・マジには届くのかもしれないけど、俺には文脈の説明なしじゃ何でもないよ