灰燼に記す

アイマスPの雑記。不定期更新

【連載】第23回 タキオン・トランスミグレイション

ワカU4面白いけど、遊戯王がまたつまらなくなってしまう気がする。結局超獣で固めるのが強いし、誘発の打ち合いで決着しそうだし、ナチュビとかスサノ-Oまでクラフトするポイントが無い......

 

 

 

生活習慣-破壊と創造 編-

実家に居るとある程度は生活習慣が固められる。朝起きて、夜寝る。飯は決まった時間に食べる。良い事です。

一方、家族が居るという事がとんでもない枷でもある。家族が居る時間に外出できないし、家の中で運動することもできない。何故かと言われれば、俺が狂っているからでしかない。ここは未だに乗り越えられない。

仕方がないので、深夜、家族が寝静まってから、俺は部屋できんに君の動画に合わせて運動して、息が整ったら外を40分ばかり歩く。5日くらい続いていたが、6日目に体調を崩し、7日目はマスターデュエルにのめり込み過ぎて散歩を断念、もうガタガタになってしまった。

曰く、人間の細胞は3か月あれば全て入れ替わるとか。3か月継続すれば文字通り生まれ変わる......のだが、5日で破綻、持ち直そうにもガタガタな日が紛れ込んでいては、たまにガタガタな人間にしか生まれ変われなさそうだ。

毎日運動する習慣はついて来たし、次は夜におやつ食べるのやめましょうね......

 

 

 

かんたんであることの罪

かんたんであることは罪である。いや、あるべきである。最近「神っぽいな」聴いてるせいかもしれないけど、そう思う。

愛のネタバレ「別れ」っぽいな

人生のネタバレ「死ぬ」っぽいな

言うのは簡単。結果も簡単。でもそこに至るまでの過程とかそれが実際なんなのかという事を大して考えもせずに、そういう真理ブレードを振り回している感が俺にはある。これ前も書いた気がするけど直近数回には似た内容なかったわ

『暇と退屈の倫理学』の最初の方でパスカルもそういう事を言っていたと書いてありました。そういう指摘するやつがいっちゃんおもんないねん、と。Twitterない時代によう気付くなそんな事。たまたまSNSじゃなくてS ソーシャル が流行ってた時代だから何も変わらないのかもしれないです。

かんたんであることの罪は、なんとなく芸術にも感じるところがある。写真の登場で絵画は死んだと言うのは簡単だけど、具体的にはどう殺されたのか、難しいところだと思う。絵画が死んだから彫刻をするのか、インスタレーションをするのか、あるいは絵画に立ち帰るのか。どの選択も、本当に選択するだけなら鉛筆を転がすだけで済んでしまう。ただ、「写真の登場によりもはや絵画はその意味を失った!インスタレーション/彫刻/更なる絵画でなければ、俺の芸術は表現し得ない!」という主張にはなんとなく惹かれてしまう。これがリテラシーのなさ故なのか、"癖"なのかは分からないけど。

 

 

外に出よう!書を持って

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なんとなく、根府川に行ってみた。

あまりにも何もなくて、本当にデカい道路と郵便局と下校中の子供たち以外に何もなくて、駅周辺をぶらつきすらせずに帰った。次は1個手前の早川だな。

短時間ではあるが、電車に乗っている間iPadで雑誌を読んでいた。ゲルハルト・リヒター特集のバックナンバーが買えたので、つい......

 

 

無目的な、ただ「行ってみよう!」という気だけがある車中、iPadを取り出して、『美術手帖』なるいかにもな名前の雑誌を読む。ああ、文化人だ。まごうことなき文化人だ。最高の気取れていて、気持ちが良い。

空いている電車というのは、かなり読書に適していると感じた。本を読む為だけに遠出がしたい。鉄道オタクであれば大回り乗車を決行したところだが、そのあたりの知識はまるで持ち合わせていない。せいぜい、終点まで行ってみよう!くらいのものである。さいわい最寄駅が東海道線なので、その気になれば片道3時間優雅な電車の旅をキメられる。

こういう活動が妄想でなくて、実際に根府川に行くところまでは出来たというのが、鬱病・ひきこもり・ニート・キモ・オタクには大きな一歩だったと思う。まぁ水族館に行こう!とか、散発的なやる気は前からあるんだけど.....