灰燼に記す

アイマスPの雑記。不定期更新

【連載】第27回 さまざまなリミット

就活って本当に最悪です。まだ1歩も前に進んでないのに......

 

 

受験勉強はつらいよ

10個下の妹の家庭教師をしている。この記事が投稿される頃のが試験当日だと思います。頑張れ〜

本当に、信じられないくらい勉強してる。朝起きて学校に行き、授業を受け、帰って来たら1時間、そのあと塾で2時間くらい?土曜日は朝勉のち5教科の模試を受け、帰って2時間くらい解き直し。日曜も朝から晩まで勉強。

休む暇ないくらい勉強している。それでいて本当に全然大した事ないからすごい。今まで15年間ボーッと生きて来たツケだと思うし、人としての常識は俺と違ってかなり弁えてるので、俺もそうありたかったなと思う。

 

毎日毎日狂ったように勉強しているが、大して辛そうなそぶりを見せない。たぶん周りの同級生もみんな必死こいて勉強していて、自分が特別頑張っているとは思っていないのだろう。成績もまぁ、上がっちゃあいるけど良くは無いし。

ただ、それってかなり大切な事だと思う。必死こいて勉強するのは当然、頑張っても100点にならないのが当然、そういう考え方が抜け落ちて今の堕落しきった俺がいる気がする。高校受験は本当に気が狂うほど勉強した(が、時間でいえば大した事ない)けど、大学受験なんて浪人したし、ミリシタしながらニコニコしてたらぜ〜んぜん出来なくて絶望して、運良く受かってただけ。入ってからも鬱とのコンボで、追試前提C前提みたいなカスの学習態度であり続けた。

 

今、努力の人となる事、それを当然のものとして受け入れる事を要求されています。のこり50日を切ったけど、俺はやれるのか?15歳の妹はもうやりきってんだぞ???

 

 

読書面白過ぎワロタ-小説もいいね編-

去年の6月あたりに読書に挑戦して、色々と模索していた中で、小説は肌に合わんなという感があった。むか〜し買ったカミュの『異邦人』は半分も読まずにどっか行ったし、短編なら良いだろうと決行した毎晩『夢十夜』を読もうチャレンジも第2夜で終わった。

一方で、構造主義がどうだ、現代アートがどうだ、クジラが、ガラスが......と、論説文的な文章はかなり読めた。なのでそういう本ばかり買うようになった。この前はホモ・デウスを買いましたよ、文庫本になってたから。

しかし、これではインターネットと何も変わらない。より意識の埒外からのオモロが欲しい。というわけで再度小説に挑戦することにした。まぁ、これは雑誌でも同じことが言えるか......

これがまぁ〜〜〜〜〜面白えんだ!『華氏451度』、タイトルとあらすじしか知らなかったけど面白過ぎる。あんなに集中して本を読んだのはいつ以来だという勢いで読み進めて、気づいたら半分終わってた。これからどうなっちゃうの〜〜〜

数えたら10冊くらい読み終わってない本があるしどんどん読みたいんだけど、新しい小説も欲しくて、今ある本も読みたくて、難しい。それでいてyoutubeとかばっか見ちゃうんだよな

 

 

社会が憎い 大人が憎い

目下最大の問題、履歴書を書くこと。

これが投稿される週の日曜を目処に完成させなきゃいけないらしい。しんどい。絶対にとやかく言われるけど手書きしたくない。字が汚いから。なんですか、書道やってたら心が綺麗になるんですか?じゃあ空手道をやってた俺の心の綺麗さも所作から読み取ってくれないか?まぁ人体の操縦とか客観視とか下手くそで、ぜ〜んぜん級が上がらなくて泣いてたんだけどな!

 

今日(2/13)、メールのマナーがどうとか、老害がどうとか、話題になってた。

やっぱ社会って嫌だなと思った。「返信しないと届いてるかわからない」論は、そもそもそんな欠陥だらけの連絡ツールを使うなと思う。「気遣いもできないのか......」論は、俺ならそんな小さい事でヘソ曲げたりしねえよと思う。部分的には強くそういうところあるんだろうけど、世の人間は軽んじられることを過剰に恐れている気がする。人生の中で溢れんばかりの賞賛と承認を受けてきたから、その俺様を讃えないとは何事って感じなんだろうか。「それぞれのキャパシティ」のコラを思い出す。

知らんけど、加齢とともに脳も変わっていくはずだから、できなかったことができるようになったり、できたことができなくなったり、そういう変化は仕方がないと思う。そういう中にあって、許されることと許されないことの曖昧なボーダーの存在が恐ろしい。俺はそういうの分からないから。

「歳をとると前頭葉の働きが弱くなって感情を抑えられなくなる」と、還暦を迎えた父は口癖のように言うが、それに反して、俺の記憶の中の父親よりだいぶ優しい。俺が小さい頃は殴る蹴るが当たり前だったのに、久しく奴の暴力性を目にしていない。ただの細長いお爺さんだ。

もしかしたらものすごい努力をして、人を傷つけないという当たり前を守っているのかもしれない。偉い。そして、社会の中でそれができないとなると非難では済まない。(元々の意味の)性癖や、ヒトという種の特性に莫大な精神的リソースを注ぎ込んで、それを封じ込めなければ生きていくことを許されない。

就活サイト(というのか?)に登録すると山のようにメールが届く。そんなものを許可した覚えはないが、読み飛ばした契約書のどこかにそう書かれているのだろう。あるいは、最初から「⬜︎メルマガを受信する」にチェックが入っている上に、普通にスクロールすると見落としやすい位置にあるのだろう。こうやって消費者に認知負荷を押し付け、回避するとサービス側が得をする形式のことをダークパターンと言うらしい。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%25E3%2583%2580%25E3%2583%25BC%25E3%2582%25AF%25E3%2583%2591%25E3%2582%25BF%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25B3

"認知負荷"、この精神的な重税は、まだふわふわとした不快感として漂っているだけに思える。しかしどちらとも苦手な自分としては、いつかこれが問題になる日が来てくれと思う。特にメールを確認しなきゃいけないのは本当に参る。返信もしたくない。

鬱病になって、引きこもって、大学も卒業できそうになくって、就活も履歴書が書けなくて滞ってて、俺はそういう経験を経て人の無能に優しくなったと思っていた。人がバカなのは努力不足だと思っていたが、そうではなくて、環境なり才能なり運命の巡り合わせなり、如何ともしがたい状況がその人を作り上げているはずであるから、安易に批判することはできないなと考えるようになった。しかし、そうして人を甘やかすことの裏にある「俺の瑕疵を許せ!」という主張や、そもそもそういう種々の困難を乗り越えることを前提として人生のステージがあること、少なくとも今の社会はそういう苦行を前提に成り立っていること、などを思うと、自分に厳しく人に甘く、などというダラけきった態度は改めるべきなのではと思う。それは自分の魂は救済してくれるかもしれないが、本当にそれだけだ。人生は厳しくつらいものだと友人が言っていた。使い古された言葉ではあるし、そうじゃなくしろ!と思うけど、思っているだけでは仕方がない。選択肢は2つ、1つは従うこと、それができないのであれば革命を起こすしかない。

社会の軛から人々を解き放ち、闘争が闘争を呼ぶ混沌の世紀を始めるしかない。その果ての滅亡こそが最善の方策だ。まぁ、そんな胆力は無いのだけれど。自殺できないから世界ごと死のうなんて計画に、一体誰が賛同するだろうか。

極端な二者択一を笑う者もいるかもしれない。白黒、ゼロヒャク、安易な二項対立はバカの得意技だと。そういう器用なポジショニングがまるでできないからこうなっているのだから、どうしようもない。正解は何も考えないことだ。考えなしに考えると痛い目を見る。

 

なんにせよ、尋常ならざる苦役を強いる社会は好きじゃない。そこから逃げ出して生きられるほど強くもない。ただ怒りを燻らせ、その熱でタービンを回すしかない。