灰燼に記す

アイマスPの雑記。不定期更新

【連載】第28回 渦巻く念(鬱回)

あー しうかつ

 

 

 

 

 

洞穴

な〜んも面白くない。

妹の受験が終わり、俺は日常に戻った。日常といっても、ニートの日常ではなく、微妙にやらねばならない事がある、圧力のある日常だ。

スモールステップでタスクを片付け、日曜には完遂。俺は晴れて自由の身になった。まぁ始まりに過ぎないんだけど、クソゲボにダルい書類仕事みたいなのはしばらくやらなくて良いだろう。うお〜〜〜解放〜〜〜

欲望の赴くままに酒を飲み、お菓子を食べて、あと読書したり、マスターデュエルしたり、遊び倒している。まぁ月曜からまた勉強とタスクの日々が始まるのですが......

しかしねぇ、何も面白くない。Switchがブッ壊れて、ウイポができない。ソシャゲは全部飽きた。ブログに書くこともないし、ずんだもんもな〜んか書きたい事が迷子で手をつけられていない。読書もできない。何もしないで時間だけを潰している。

テーマが悪かったか?Orbyに始まり、OrmondeとOrmeの偉大さ、Rhoda BとAmericus Girlの共通点とか触れられれば良かったけど、あまりにも壮大過ぎる。

なんか文章を纏めるパワーもない。寝たくもないけど、寝た方が良いんだろうな......しんどい

寝て起きても鬱。何してもしなくても鬱。夜中にじゃがりこ食べても鬱。おしまいが近いのかもしれない。人生は、どんどんつまらなくなっていく。しなきゃいけない事ばかり増えるけど、世界にはどんどん飽きていく。俺が悪いのか?発動者かつ精神疾患になった俺が悪いのか?やっぱり人は生まれてくるべきではない。俺の人生のどこにだって、俺の選択でこれを回避できたような場面がない。生来の気質が自己責任なら、生まれないことでしか解決できない。生まれつき人より劣っていて、結果としても人より劣っているのに、敗退する事が許されず戦う事を強要されて、本当になんなんだ。

何もできない。おしまい。お前らも精神疾患には気をつけろよ!

 

とか何とか言ってたら、自己PRだのガクチカだのが足りないって履歴書跳ね返されたぜ。大学なんて1年の後期から失踪するまで、ずーっと鬱!鬱!鬱!なにも頑張らないで、死ねなくて仕方がなく生きて来ただけだから、力を入れた事なんて一個もないぜ。おしまいだぜ。

社会が必要としてないのに生きてなきゃいけない理由ってなんなんだ?

 

 

文章を書けるようになりたい(長い)

ブログを書き始めたのはオタク・エモーションを発信したかったからだが、日記のモチベーションは文章を書けるようになろうというところにあった。しかし、さながら「縁」の絵を描いた八虎(ブルーピリオド)のごとく、自己模倣に陥っておしまいのまま3年が経とうとしている。

インプット無しにアウトプットなどあり得ない。しかし、最近かなり本を読むようになったにも関わらず、その影響を感じることはほとんどない。ここが天井なんだろうか。俺には随分と低い。

本。人生で1冊くらい本を書きたい。たぶん卒論が無いから、俺はまともな文章の書き方を学ばないまま死ぬ。別に学びたい訳ではないけど、こうして本を買い漁っていると、心血注いでか小遣い稼ぎでかは知らないけど、とんでもない量のこの文章の山を作り出した巨人が世界のどこかに潜んでいることに感動する。凄すぎる。俺は1000文字にも満たないブログの一項ですら、論理の組み立てが破綻してそうなのに。どうして何百ページ単位で、理路整然と、矛盾なく、いられるのか。どうしてそんなに言いたいことがあるのか。甚だ不思議だ。俺が適当に生き過ぎてるだけか??

本、読んではいるけど、読めているかは怪しい。大量の情報に面食らうのが面白くて、この本を俺の「読んだ本棚」にしまいたくて、とにかく指と目を動かしてるだけな気がしてしまう。本読めないのに文章書ける奴って歴史上みくのしんしか居ないらしいです。

 

そもそも伝えたい事がない、というのも問題だ。俺には軸がない。あったとしても、あんまり認識してない。専門的な知識も無い。

ずんだもんに血統の話をさせよう!と思い立って、1本完成させたは良いが、2本目は途中で放置している。いったい何が面白いのか、何を伝えたいのか。3・3×2くらい凄いことが血統表に書いてないと俺は混乱してしまう。結局、覚えること、思い出すこと、流れをなぞることが面白いだけで、そうできるのであれば何でも良かったのかもしれない。

オタク・コンテンツに心揺さぶられることも減って来た。昨日(2/14)実装されたケット・クー・ミコケルのバレンタインのヤツは本当にめちゃくちゃ最高だった。特に2臨のやつ。でもそれだけだ。ここがどう繋がるとか、ここのセリフがすごいとか、そういう感動は無くって、可愛くてハッピー!以上!終わり!!我ながらつまらない人間になったと落胆、しようと思えばできる。

 

何か魂を込めて語れることがあるだろうか。Wikipediaのコピぺより優秀なレポートを書けるだろうか。言うまでもなく、世界の名馬列伝集の焼き直しであってもいけない。

 

こうなってしまった原因のひとつには、個人主義、というか唯我主義とでも言うべき俺の思想が関係していそうだ。周囲の人間に嫌われ、疎まれ、仮にそうでなくともコミュニケーションが成立しないことが多くて、そのうち相互理解を諦めてしまった。俺は俺に俺の基準を課すし、それはあくまで俺の基準だから、他人が合格でも不合格でも興味がない。その人の信じる基準で合格なら良し、不合格なら あらあら。そう思うだけ。そういう思考の変性の中で、人に何かをしよう伝えようという気持ちは極端に小さくなっていって、もはや生理学的な欲求に成り下がった寂しさを埋める為にしかコミュニケーションを取らなくなったのかもしれない。たぶん、いくら低評価押されようと抗い続ける人間たちが、社会の大部分を形成しているのに。

𝕏が基本鍵垢なのもそういう理由が大きい。俺に基準を押し付けてくる人と関わりたくない。そいつらを黙らせるくらいのパワーがあったら、もっと魅力的かもしれないのに。そうやって内に内に自己を閉じ込めて、一体何を得たのでしょうか。傷つかないのは、着飾らないのと同じではないか。人を傷つけたくなくて隣人との関わりを減らしたが、関わらないことそれ自体が隣人を傷つけはしないか。めちゃくちゃだ、人と関わるのに、人がどう思うのかをまるで考えていない。大して価値のない私を守ることしか頭にない。だから、嫌われる。

ああ、自分の話であれば幾らでも出来る気がする。でもそんな共感性の無いもの誰も求めていない。よっぽど面白くない限り、自己開示は面白くなりようがない。そして、面白い自己開示は世の中に溢れている。何ならそれで金を稼いでる人間もいる。愛されている人間もいる。そういう只中にあって、なお、この読者が2人もいなさそうな文章を、何重にも隠された文章を、この俺が書き続ける意味は何なんだろう。もっと愛されたいなら、そういう文章を書けば良い。たくさんの人に愛されたいなら、鍵を開き、投稿ごとにツイートし、世界に公開するといい。そうしない理由は何だ?そうまでして傷つきたくないのか?

コミュニケーションでも、作品でも、何でもないこの複雑怪奇な模様を、どうしたって編まずにいられないのは何故なのか。俺にはもう文章を書く力はあって、あと数個のピースがはまれば、これが幸せに繋がるのだろうか。

自殺も研究も就職も無理そうだから、出来ることといえば文字を書くことだけ。これで金を稼げなきゃ死ぬ。世知辛ぇ〜〜〜

 

 

"o"

俺は生まれつき背が高い。ずんずん伸びて190cmになってしまった。俺はめっちゃ太ってる。100kg前後だったのに引きこもり始めてから崩壊して、130kgくらいある。俺は勉強が得意だった。小3で英検5級に満点で合格したし、1浪したけど阪大に受かった。俺は運動が苦手だ。喘息持ちで全然走れなくて、走らないでいたら体力がゼロになった。俺は頭がおかしい。幼少期は周囲の人間に暴力を振るいまくり、気がついたら大人しくなった代わりに世界の全てが怖くなっていた。俺は頭がおかしい。大学1年生の夏に精神を病み、秋に崩壊して、以降一度も正気に戻っていない。俺は頭がおかしい。医者には発達障害だろうけど診断はいらなさそうだと言われ、鬱の薬を飲んでいる。

俺は、普通であるところがない。強いていうなら、身体のパーツの数はお前たちと同じだけど、それだけだ。満足に働かないか、大き過ぎるか、その両方かだ。

たぶんそのせいだろう、誰が俺に何を言っても、無責任だ。適当だ。なんとかなる、ならない。生きてれば良いことある、ない。どうしてそうなの、俺が知りたい。

もうどうにもならないところまで来ている。異常に生まれ、異常に育った人間では幸せになれない。生きていて楽しいかも知れないし、良いこともあるかも知れないが、社会には必要とされない。頑張ったって仕方がない。みんな同じでしょって、同じみんなにかける言葉であって、異常者にはかける言葉もない。ただ、背が高いとか勉強ができるとか、良い面だけを見て、適当に当てはまりそうなことを言ってるだけ。実際のところ救い難いから死んだ方が良い。

次か、次の次の記事では「障害者手帳を取ろう!」がテーマになってそうだ。アハハ。死にたい