灰燼に記す

アイマスPの雑記。不定期更新

【連載】第26回 怒りのデスロード(不安定)

 

 

怒り

怒りしかない。

この1年間、いや、6年間と言っても良い。俺は俺の脳に、思想に、過去に、苦しめられ続けていた。徐々に開かれていく悟りがあった。落ち込むこと、嘆くこと、悲しむこと、泣くこと、それら全てには、正しくあろうという意気込みには何の意味もない。ただ、怒りさえあれば良い。あらゆる不条理、あらゆる不合理、あらゆる不本意、あらゆるあらゆるものにただ怒り狂っていればいい。Fire and furyです。何もかも燃やし尽くせ!破壊しろ!その残骸の上でこそ笑え!!!

ここまでどれだけの時間を無駄にして来たでしょう、いや、無駄ではない、人生は一度きりだから、ショートカットはありえない。回り道こそが最短のルートで云々。

大学、俺を破綻させ、破綻した人間を破壊する悪の枢軸、許せません。何されても絶対に卒業する。労働、俺を恐怖させ、恐怖した人間を放逐する邪悪な慣習、許しません。何をされても絶対に攻略する。

貴様ら如きが俺をとどめておけると思うなよ、鬱も発達障害もなんもかんも知ったこっちゃねえわもう。死ぬまで暴れてやらぁ

 

 

デス・ロード

そんなこんなで、(俺にやる気があれば)この日記が投稿された日の昼には、なんか就活エージェント?との面談があるらしいです。どうして......?

マジで何もわかんないですよ、つってたけど大丈夫です!ってゴリ押されたから予約してしまった。面倒だ。面倒だと思うことに意味はなく、ただ一々そんなものが介在する事、それを生業とするものがいる事、あらゆる中抜きという形態、それらに怒りを燃やしていれば良い。でも嫌なものは嫌だな、何されるのか分かんないんだもの

どいつもこいつも俺が阪大生だからチヤホヤしてくるけど、俺はその阪大を到底卒業できなさそうなところに来てるから困ってるんだよ。真っ当に卒業出来るビジョンがあったらここまでの悲観はしないわ。分かるか???

就職も、出来る気がしない。週5で労働って不可能では???週5で研究室にすら通えてなかったんだぜ?金貰えりゃあ違うのか?そう信じる以外できないんだけど。やばいわ。

そもそも働きたくないし、出来る事もない。世の中の大概の人間が俺の上位互換なのに、それに目を瞑って大嘘をついて俺を売り込むことが求められている。無理です。

本当に、楽に就職させて欲しい。これ以上心をすり減らしたくない。車もいらん(必要では?)、嫁もいらん、家もいらん、旅行もいらん。ただネット環境とたまに本を買えるだけの裕福さがあって、死ぬまで生きていられればそれで良い......

 

 

 

叫びが聞こえていますか

人は、一人では生きていけない。

これは上2つから1週間弱経ってから書いているので、だいぶ冷静、かつ抑鬱です。

ゲボカス人間として生きて25年、俺はいまだに、誰かに話を聞いて欲しい。寂しくて仕方がない。もう4年くらい続いている交換日記、10年弱のTwitter歴、ブログ、通話......加えて今は動画を作ろうとも試みているが、これらは全部、コミュニケーションの一形態だ。いや、一方的な発話でしかないかもしれない。とにかく俺が話して、話して、話したい。

これは由々しき事態だ。まずもってコミュニケーションは双方向であるべきだ。俺が話した分だけ、人の話を聞くべきだし、気の利いた返しをすべきだ。俺はそれがまるで出来ない。カスです。近い将来何もかもが崩壊してもおかしくない。そして、少しずつ皆がいなくなっていく。俺の人望に関わらず、人生のステージが進んで、いつまでも足踏みしてレールを踏み砕いてしまった俺は奈落の底を這いずり回っている。

何より最悪なのは、俺に新しい友達を作る能力がまるでない事だ。Twitterですら無理。競馬の話だけするアカウントは、作ったは良いけど話す事無いしなんだかな〜と思って全然動いてない。血統マニアのdiscordに入ったけど、ボコボコにされるのが怖くて一言も喋ってない。

どうにかして俺の土俵で、俺の言いたいことを、言いたいだけ言いたい。行き着く先が今のところyoutubeだけど、諸々の事情で一本作っておしまいになってしまった。

真っ当な人間なら、身近な人間が話を聞いてくれるだろう。真っ当になりたい。幸せに生きたい。そういう叫びが、全ての文字の裏に封じ込められています。

 

 

霜月凛のことを俺は何も知らない

今日、散歩をした。写真がないのが本当に残念。撮ればよかった。

大昔、物心ついてから5歳くらいまでの極めて短い間、あるいは当時の人生の全部を、小田原で過ごした。言うても引っ越した先は小田原に程近く、頻繁に買い物なりなんなりで訪れることにはなるのだが、なんとなくノスタルジーを感じるのが小田原だ。

思い出の中の街であるのだが、当然、その様相は目まぐるしく変わる。今日通った道には、新しくホームセンターが出来ていた。かつては父の働いていた会社があり、稀に迎えに行ったりした場所だ。

ホームセンターの外にはコンクリート製の商品が陳列とも収納ともつかない風に置かれていた。中途半端に青いテープが残ったブロックの塊、のぼりの支点みたいな円錐っぽいやつ、土と花のない花壇。そういうものを眺めていると、現代アートの話を思い出す。

大阪に置いてきてしまった本なので参照出来ないが、「世界を揺るがしたアート」に載っていた単なるコンクリートブロックのことを思い出した。あれはいかなる理由でアートだったのだろうか。多分ミニマルアートの文脈にあるはずだが、それはなんだったか......思い出せそうにないとなると、今度は自分なりにそれを美術館に展示する言い訳を考える。たとえば工場生産されたブロックが整然と積み上がってひとつの形をなしているのは、それが製造か搬出か陳列か収納か、どこかの過程で必要とされるからであるだろう。しかしかながら、その安定性とか合理性とかいうものがこんなにも精緻に直線を描くのだということに感動して見ても良いかもしれない、とか。あるいは、そのように工業的で画一的な形をしていても、性能には関係の無さそうな表面の色味には個性が見て取れて、それをおかしく思うのもアリか、とか。

現代アートについて軽〜く知っただけで、面白がれる対象が増えたというのは、良いことに思える。多分、許されるなられ疲れていなければ、そこで6分くらいはコンクリートたちを眺めていられたと思う。もし俺がもう一人いたら、そのままホームセンターに入って行って、同じ様な話を延々したかもしれない。

一人だし、疲れてたし、帰りたかったし、実際の僕はただ通り過ぎて行くだけだった。

 

......そうやって歩いていたことを、オタクから道路の写真が送られて来て、思い出した。連想ゲームが始まって『フラッター現象の顛末と単一指向性の感情論』の一節が浮かび上がる。仰々しい名前だけど、ただの音ゲー曲です。

人はどうせ信じたいことしか見ない

フラッター現象の顛末と単一指向性の感情論

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俺も現代アートを信じたいから、あのコンクリートが何か素晴らしいものだったとおもったのかも知れない。アスファルトに模様が見出されることを喜んだのかも知れない。そして、自分がまだそうしていない、知れば美しく面白いものの全てで、世界は埋め尽くされているのかも知れない。

俺はまだ何も知らない。何もかもを。でも学術は本当に無理だから、簡単に学べる何もかもを。可能な限りの全てを知り、誰よりも面白いことを考えて、それから死にたい。オモロの独占、世界中に対する優越。そこへの欲求が俺を文化人気取りに導いているのかも知れない。