灰燼に記す

アイマスPの雑記。不定期更新

[連載]第14回 興味を持ったら一直線だが、飽きっぽい一面も持つ

 

 

 

 

スクラップブックのコーナー

よきイラスト

たまたまyoutubeのオススメ欄に流れて来たサムネイルが最高過ぎたので、調べた。

このせいで一時的にTwitterのオススメ欄がadoだらけになったのは許せねえ。これっぽい絵を流せよ

ado、『阿修羅ちゃん』と『ギラギラ』しか知らないけど良いとは思っています。

 

よきツイート

とくにない。インターネットは殺風景でした。みんなシャニソンかちいかわか、いつも通りの差別の話をしています。

 

よき馬

後述するかもしれないが、急速に競馬モチベが下落したので、特にない。強いていうなら母父ディープの躍進スゲーくらい?

今のウマアニメもエリ女マイルCSも正直どうでも良いし、JCだなやっぱ......

 

 

読書楽しすぎワロタ

11/5に3冊の本を買った。1冊は読み終わり、1冊は読み終わりそうで、最後の1冊はもう読まない。これを近所の景色が綺麗な場所に持って行って、夕陽を浴びながら読んでいたのは、前回も書いた。

今週は我慢できなくて、更に5冊の本を買った。うち1冊は文庫本ではなくて、2800円+税のハードカバー。高え〜の。でも面白ぇ〜の

毎度毎度、外で本を読んで、そのたびに空の写真を撮っている。なんと優雅なのでしょう。本当は本に日光当てない方が良いんだけど......買った本だしええやろ

6月5日に本を買い始めて、夏はほとんど読まず、9月4日に買い足した2冊はいまだに積んでいて、『好き?好き?大好き?』で再燃した、この一連の読書・ムーブメントが、ようやっと実を結んできた感がある。難し過ぎず簡単過ぎずの良い本を選ぶ嗅覚を身につけられたというのが大きい。今もう買い足したい本が3冊くらいあるし、いざ本屋に行ったら色々目について結局5冊くらい買ってしまいそう。

俺の悪いところで、あるものにハマると他のものが見えなくなってしまう。今は競馬とシャニソンとペペロンチーノとカレーが見えない。本にしか興味がない。

 

 

ゲームって何が面白いの

アイドルマスター シャイニーカラーズ Song for Prism、通称シャニソンの配信が開始された。TLでは割とみんな楽しんでる様子です。鈴木が可愛いのと、メガネをかけられるの、円香にかわいい曲を踊らせるの、咲耶強過ぎ問題、あたりが今の流行らしいです。

自分も一応始めるだけ始めたけど、全然しっくり来なくて4曲くらい叩いたっきりです。

一方で、昨晩は『ファミレスを享受せよ』というゲームを夢中でプレイしていました。

もともとオタクが推してたゲームだったし、PV流し見した感じ良さそうだったし、電子書籍を買いたくなるかも.....と思って5000円くらい浮かせてたし、買えたから買ってしまった。

めっっっっっちゃ面白かった。いや、こんな沢山の小さい つ を使うような雰囲気じゃないとは思うんだけど、でも凄く良かった。

ゲームで言うと、『都市伝説解体センター』もめちゃくちゃ面白そうだ。廻屋がエロいし、ドット絵大好き出し、何より雰囲気が良い。オタクはロアが好き。

シャニソンの出来が悪いとはあんまり思わないけど、なんでインディーズのゲームばっか楽しくなってしまったんだろう。そういえばスイカゲームも未だにたまにやっちゃうし、その前はNEEDY GIRL OVERDOSEにドハマりしてた。

買い切りか否か、というのは大きな違いだろう。買い切りのゲームには終わりがあって、ソシャゲには多くの場合終わりがない。俺がずっとやってるfgoも、引き伸ばしフェーズ入った上に引き伸ばしの話すら進まずに5カ月経った。シャニマスは、まぁ俺が追ってないだけで「これからも彼女達はアイドルであり続ける....完!」みたいな終わりを最新のイベコミュで迎えてたりするのかもしれないけど、俺はそういう終わり方好きじゃない。本当に終わって欲しい。芹沢あさひだって、一体いつまで中学2年生なんだ?シャニソンのタイミングって歳を取らせられる最後のチャンスだったと思う。enzaもやっていく感じ出してるし無理なのかな。悲しい。

買い切りだと絶対そうという訳ではないだろうけど、ガチャの要素がないのは本当に最高だ。真剣にやってるというか、そのゲームが大好きというか、とにかくそういうところがないと、ガチャに金なんてかけてられない。シャニマスで言えば、ガチャを回す事には2つのメリットがある。1つは物語であり、1つは強さだ。特にシャニマスは物語が強い。トゥルーエンドが見たくて周回してた時は本当に楽しかった。確か最初に見たのは【バッドガールの羽ばたき】西城樹里だったけど、感動したもんね......。ただ、これは個人的な事情だけど、毎回天井できるほどの金も石も無いのだ。そうやって一番好きな芹沢のカードすら歯抜けになっていって、何くそと金をかけると言うよりはむしろ、どうでも良くなってしまった。強さの面に関しても同じような事が言える。最初はグレ6で満足してたけど、【空と青とアイツ】を完凸したことで可能性が見えて、課金しまくってグレ7に一度だけ触れた事があった。あの達成感と言ったらなかったが、維持は当然できなかったし、プロデュースのサポートも、どんどん型落ちになっていく。それを防ぐには、芹沢じゃないガシャを回して、芹沢じゃないアイドルを強くしなければならない。面白くなくなって、やめた。ガシャもそうだけど、育成もどんどん型落ちになっていく。半年にいっぺん新しいルールを覚えてとにかく周回しなきゃいけないのは流石にしんどかった。だって周回に終わりが無いんだもの。絶対にいつか無価値になるんだもの。そうやってふと俯瞰に立ってしまわないくらいアイマスを好きでいたかったな。

これウマ娘も完全に同じだ。強いサポート以外無価値、最新シナリオ以外ほぼ無価値、周回は運ゲーで終わりもない。

ゲームって終わりがあるのが面白いのかもしれない。

 

 

神/太陽/リトルミズキ/集団ストーカー

なぜルールを守るのかといえば、答えは2つ考えられる。ひとつは秩序のため、もうひとつは罰されないためである。つまりは、メリットあるいはデメリットと比較して、ルールを守るという不合理を受け入れることがより合理的だから、人はルールを守れるのだと思う。

 

......ああ、メモが消えてしまった。困った。

とにかく、ひとは内面化した暴力装置にしたがって秩序のため罰をうけないために生きているように思える。

宗教観の薄い私にとって、この場合の神とは神そのものがビンタなりで人を裁くのではなく、なにかよくない出来事の中に見出すものである。太陽とは、私が幼少期母親に言われた「お天道様が見てるよ」とは社会の換言である。社会は蛮行を決して見逃さず、それを必ず裁くという内面化したルールの象徴が太陽である。リトルミズキとは、魔法少女の肩に乗るマスコットであり、知性ある妖精である。俺の心に巣食うリトルあっしゅは、助言などしない。俺を裁くばかりである。集団ストーカーとは、病的に内面化した社会であろう。事実として人は人を常に監視しているし、同時に無関心でもある。1億の目はやはりあなたを裁く機会を伺っているだけで、決して助けてはくれない。

いびつに内面化した暴力装置。いびつに内面化した社会。いびつな姿のマスコット。俺を監視して裁きをくだす、架空の神たるリトルあっしゅ。彼を集団ストーカーにしないために、俺は何ができるのだろう。俺が俺を認める為に何をすれば良いのだろう。俺が俺を認める俺を認める為に何をすれば良いのだろう。無限に続く不信の螺旋階段を降りた先には、多分、神がいる。そこまで降りて行ければ、文字通り神憑(がか)った解決策が見つかるかもしれない。

普段考えていることをまとめる為にメモしているのに、これではメモそのものか、メモのメモだ。まともな文章を作りたい