灰燼に記す

アイマスPの雑記。不定期更新

推しのち担当 時々ガチ恋。それと

おはようございます!あっしゅです。

皆さんの殆どは私をツイッターで知っていると思うのですが、改めて自己紹介をさせてもらいます。

「私、ミリオンでは所恵美とロコを、デレでは二宮飛鳥と久川颯を、シャニでは芹沢あさひを担当しています、あっしゅと申します。今後ともよろしくお願いします。」

 

……アイマスPは初対面の相手にこういう自己紹介をすることがままあると思います。私もその1人です。しかし、これはなんというか、適切ではないんですよね。なぜなら、担当アイドルは必ずしも担当アイドルではないからです。

多分、意味不明ですよね。今から説明します。

 

一般に、ドルオタは好きなアイドルのことを「推し」と言います。その中でも、本気の恋愛感情を抱いてしまっているか、そういうポーズをとる人を「ガチ恋勢」なんて言ったりします。 一方のアイドルマスター、ゲームのプレイヤー・コンテンツのファンは、ラブライバーとかバンドリーマーとかモノノフとかと同じようなノリで「プロデューサー」と呼ばれ、お気に入りのアイドルを「担当」と言います。

しかし、アイドルマスターというコンテンツの楽しみかたは、そのファンの数だけあるはずです。「担当」「プロデューサー」という呼称が慣習的なものであることは分かりますが、私は全員が誰かを「担当」する「プロデューサー」、つまり「どうすればこの子はもっと輝けるのだろう?」と思いを巡らせる人、ではないのではないかと思います。実際、私も「プロデューサー」じゃないフシがあります。

 

先程あげた、私の担当アイドルである恵美・ロコ・飛鳥・颯・芹沢の5人を例にとって説明しますと、まず恵美は「担当」ではありますが同時に「ガチ恋」でもあります。私はプロデューサーの身でありながら、彼女とイチャラブする世界を望んで止みません。最低ですけど、しょうがないじゃないですか、めちゃめちゃ可愛いんですもん。

ロコは「担当」のみです。私はロコアートが、そしてロコが、ワールドワイドのオーディエンスに認められ、ポップカルチャーをリードするまでに至らせたいと強く思っています。私はロコのインスピレーションやクリエイティビティをアシストするデヴァイスで構わない。それで世界がロコナイズされるのなら……です。

飛鳥は「推し」であり「担当」ですね。ボクは二宮飛鳥に多大な影響を受けて本当にイタい行為を繰り返す女子中学生(14)であり、私は彼女の声とファッションの言葉遣いに光るものを見出し、彼女を「痛い奴」の先導者/マイノリティの統率者/誰もが嘗ては抱きそして捨て去った憧れの偶像として祭りあげんとするプロデューサー。 みたいな?

颯はもうバリバリ「担当」。俺は颯が世界中に愛されて欲しい!颯にはそれを可能にするだけの能力と自信があるんだから、いつまでも思春期特有(?)の承認欲求を燻らせてちゃあいけない。それはお前を動かし輝かす力になるんだから。

芹沢も「担当」ですね。彼女の類い希なるダンスの才能は活かさない手がないです。それに、彼女には保護者とまではいかないまでも、危ないことしないか見張ってたり、彼女の考えや思いつきを流さない人間が必要で、それは俺です。こう改めて文字に起こしてみると多少は「担当」向きではない感情も混ざってそうですね

 

といったふうに、「○○担当プロデューサー」を名乗る人間が本当に「○○担当プロデューサー」であるとは限らないんですよね。

私はそういう嗜好はあまりもたないのですが、他にもアイドル同士のイチャイチャを見守る概念になりたいという層も居るようですね。ここではそういう層の事を「概念」と呼びたいと思います。

自分が「推し」か「ガチ恋勢」か「担当」か「概念」か、あるいはその複合体か。考えたことなかったという方は、考えてみると新しい扉が開けたりして楽しいかもしれません。オススメですよ。

 

アイドルの「推し」「ガチ恋勢」「担当プロデューサー」がいて、アイドルを見守る「概念」がある……多様ですね。私はどうしても「担当プロデューサー」と「ガチ恋」に寄ってしまいがちで、そういう視点からしか物事を考えられません。なので、「このCPはここがカワイイ!」みたいな、「概念」勢の皆さんからの熱烈なダイマをお待ちしております。

 

それでは、また